湖族がつくった景観

 

今回は滋賀県堅田に来ました!

 

堅田は琵琶湖の最狭部に位置しており、古くから水運の要衝として栄えてきた

都市です。

 

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写真に見えるのは琵琶湖の最狭部にかかる琵琶湖大橋

空の「あお」と湖の「あお」のコントラストがとっても美しい場所です。

 

カタタってケロロ軍曹にいそうな名前だなー

という個人的な感想は置いておきまして、早速歩いた場所をみていきたいと思います。

 

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堅田駅に着いたら、湖族(こぞく)の方々がお出迎えしてくれました。

この湖族というのは、堅田において琵琶湖の水運や漁業権を握り自治都市を築いた人々のことです。

堅田を「湖族の郷」と呼び始めたのは小説家の吉川英治なんだとか。

 

 

琵琶湖の方へ向かって歩いていくと

 

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舟と思しき柄の電灯。オシャレだなー

 

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堅田には衝撃的な数のお地蔵さんがいました。

密集度は洛中に匹敵するレベル。びっくり!

さすが中世から続く街なだけあるなー。歴史を感じる。

愛宕灯籠も無数にありましたが、1箇所だけこんなものも。

 

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葉っぱで見えにくいけど、右側は秋葉灯籠。

愛宕と秋葉の共演。

愛宕神社は京都、秋葉神社は静岡にある火伏せの神様です。

湖西にも秋葉さんいるのね。

 

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街には何人もの一休さん

表情や手がかわいい(笑)。

飛び出し注意看板の多くが一休さんなのは、一休さんが実際に堅田に滞在しているという歴史からきています。

 

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祥瑞寺では一休さんが13年間修行したと伝えられています。

ここのお寺は苔が一面に敷かれていて風情がありますよ。

 

てくてく歩いていたら、気になるものを発見!

 

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「宮ノ切」ってなんやろ . . . ?

 

中世以来繁栄を極めてきた堅田の人々は、自由都市としての堅田を守るべく宮座を結成しました。

「きり(切)」というのは、宮座が湖岸に築いた防御塁のことです。

堅田には、宮ノ切・東ノ切・西ノ切・今堅田切の4つの切があります。

それぞれの切ごとに主な生業も違ったそうですよ。

宮ノ切は農業と舟稼ぎをしていたそう。

西ノ切は漁業が盛んなのだとか。

詳しい内容は「湖族の郷資料館」に書いてあったんだけど忘れちゃった . . . 。

 

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宮ノ切の石碑があったところでは、琵琶湖の水が分かれていました。

綺麗に水が二等分になるような仕掛けは、用水を平等に分けるためなのかな?

 

そのまま琵琶湖まで行きます。

 

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琵琶湖のすぐ近くまできたよー。

ボートが何艘も浮いていました。

古い町並みとは打って変わって、湖の上は完全に近代的な舟だけしかありませんでした。

 

琵琶湖を望む場所にポツンと立つ石碑を発見。

 

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これは道標ですね。

「左 かたた舟わたし」と書いてあります。

興味深かったのは、この石碑の裏側。

 

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フェンスがあったので、下からしか撮れませんでした(涙)。

「舟仲間」という文字が見えるでしょうか。

「仲間」というのは同業者組合のことです。

昔はこのあたりに舟関係の同業者組合があったのでしょうね。

この石碑は、この地域の生業の一つに舟関係の仕事があったということを示して

くれます。

ちなみに、この石碑は文化年間(11代将軍家斉の治世)のものです。

 

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琵琶湖きたーーー

 

いい感じに整備されていて気持ち良いです。

平日だからか人が一人もいないので、水の音や鳥の鳴き声だけが聞こえます。

ベンチもあるので、何も考えずボーっとしたい時には、うってつけの場所かもしれないですね。

 

この道を歩いていくと 

 

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堅田落雁として近江八景の一つにも数えられる「浮御堂(うきみどう)」が見えて

きました。

 

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こちらの浮御堂は、「往生要集」の著者である恵心僧都が、湖上通船の安全を祈願して建立したと言われています。

そこまで大きな建物ではないのですが、中には非常にたくさんの仏像が安置されてい

ます。

近所の方によると、有名だから観光客は来るものの、予想より小さかったと残念がって帰って行かれる方が多いそう。

確かにお堂自体はそこまで大きくないのですが、琵琶湖やマツなど周辺と一帯の景観として観ると絵になる美しさだな、と私は感じました。

 

ところは変わって、次は伊豆神社

 

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こちらの画像の下部分がアーチになっていますね。

この下はと言いますと

 

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水濠があります。

このあたり、古くは多くの水濠があったそう。

自治都市を守るための装置ですね。

この水は琵琶湖から直接引いてきています。

 

ここで地図をみてみましょう。

 

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こちらは江戸時代の本堅田町。

御陣屋や伊豆神社、祥瑞寺の周りが水になっていますね。

この水濠は少なくとも文政年間にはあったみたい。

昔は畑もあったのね。

現在の堅田京阪神地域のベットタウンとして開発の対象になっているので、古い家々は残っていますが、一方で新興住宅が密集している場所もあります。

新興住宅の密集地は、昔畑だったのかなー。

とか考えていたら、畑発見!

 

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水面と大して高さの変わらない所に畑。

なぜ??

増水したらすぐに水没しそうなのですが . . . 。

なぜここに畑があるのか、誰か答えをご存知の方は教えてください。

謎すぎる!!

 

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ちなみに、こんな風に水濠の跡だけ残っていることもあります。

 

次は内湖へ。

 

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なんだか色々な棒が刺さっていますね。

えり漁かな?

昔から漁業が盛んな町でしたが、現在でも漁業が盛んな場所です。

 

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堅田漁港。

船がたくさん並んでいます。

 

漁業だけでなくこんなお仕事も。

 

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造船所ですね。
堅田には今使われている船を作る造船所もあれば、伝統的な船を作る造船所もあります。

どちらにせよ、古くからの生業である船関係の仕事が現在まで続いている、と言えるのではないでしょうか。

 

最後は行き交う船を照らした灯台

 

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この出島(でけじま)の灯台は、灯台にしては珍しく木造。

かつてはランプで灯されていたそう。

今でも点灯されていることから、有形民俗文化財に指定されています。

 

堅田は湖族たちの自治都市であったことから水濠が張り巡らされており、彼らの生業であった船関係の仕事が現在でも続いています。

また、舟稼ぎで繁栄していたので石造物やお寺などが多く残っています。

以上のことから、堅田は「湖族がつくった景観」が色濃く残っている場所と言えるのではないでしょうか。

 

 

おまけ

湖西線大津京駅構内にはミニ展示コーナーがあります。

 

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現在は近江高島駅周辺の文化財についての紹介でした。

展示は曳舟のお祭りから遺跡から出た瓦までさまざま。

小さい展示ながらキャプションの内容も分かりやすく、展示作成者の熱い想いを感じられます。

 

こちらの企画展、滋賀県文化財センターの方が定期的に展示替えをしながら続けられているそうです。

駅構内なので湖西線沿線で用事がある際は立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

 

 

今回はなんだかまとまりの無い記事になってしまいましたね。

反省 . . . 。

しばらく私用で忙しいので更新することはないと思いますが、いつか更新したらみてくださいな。

 

それでは、また!

 

 

 

 

川のくらし 後編

 

こちらは後編なので、前編を読んでおられない

方は、前編から読む事をオススメします。

 

それでは後編まいります。

 

うかいミュージアムではなんと鵜匠さんによる、

鵜飼の実演がおこなわれていました。

 

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ピントの合う位置が違うよカメラさん。

つい最近買ったカメラを使いこなせていない

めんぷでございます(涙)。

 

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魚を全力で追いかけています。

 

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魚とった!

写真ヘタ(涙)

写真を見ていただくと、魚の胴体を押さえて

いるのがおわかりに、なりませんよね . . . 。

あの埴輪のようだと言いたかったのですが、

私の写真を撮る能力では無理でした。

精進します。

 

 

ところは変わりまして、川原町。

古い建物が美しいですね。

 

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古民家カフェとかが建ち並んでいるこの地域。

昔は、

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でした。

 

紙(うちわなど和紙を使った工芸品なども含む)

を扱っている店が多いのにも、こういった背景

があります。

 

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材木を扱うお店も残っていますねー。

さすが川湊。

 

前編では、堤防の中を歩いてきた話をしましたが、

川原町に関しても、天井川である長良川のすぐ

近くです。

普通、こんなに川の近くに人が密集している

ことはありません。

 

なぜ長良川では、危険な場所に人がたくさん

住んでいるのでしょうか。

 

それは、長良川が豊かかつ便利な川だから。

 

かつては大量の魚たちが泳いでいた長良川

その魚たちをとる鵜匠たちは、川を常に見て

いなければならないため、全員堤防の中に住んで

います。

うかいあるきのガイドさんによると、この

堤防の中に住んでいるのは、川関係の

仕事に従事している方が多いそうです。

また、この堤防の中には、水防団という

組織があり、いざとなったら手動の陸閘を

閉めに行ったりするんですね。

 

また、鵜匠たちが住む鵜飼屋の対岸、川原町

は巨大な川湊。

この湊では、かつて清流長良川の水で作られた

高級な和紙や木材などが運ばれていました。

ずっと下流に進むと、太平洋に出るので、

全国どこへでも行くことができます。

 

長良川の豊かさと便利さが、長良川周辺の

くらしを規定しているですね。

 

と適当なまとめをしてみましたが、こんなもの

が指導教官に見られたら . . . 。

恐ろしいですね。切腹ものです。

 

ただ、長良川が周辺のくらしを規定している

というのはまごうことなき事実やと思います。

 

ちなみにですが、ガイドさんによると、この長良川

伏流水が浜名湖5個分もあるそうです。

それだけ水が豊富なので、夏になってプールの水が

張れないということがないそうですよ。

また、この地域の人は長良川の水を使用している

わけですが、水が美味しいからペットボトルの水

なんて買わん、とのことでした。

羨ましー。

 

 

この先は、おまけ

「御鮨街道をあるく」です。

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まずは、御鮨街道の説明から。

御鮨街道の「御鮨」はアユの熟鮓(なれずし)のことを

指します。

岐阜の鵜飼は尾張徳川家の保護を受けていたので、

代わりに、アユ鮓を献上する義務がありました。

この御鮨を運ぶ、岐阜から東海道に至る道が

御鮨街道と呼ばれています。

 

この御鮨街道、起点からJR岐阜駅のあたりまで

整備されていたので、歩いてみました。

 

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街道は脱色アスファルトになっています。

脱色アスファルトは、その地域の石を

使うことで、その土地のアースカラー

だすことができるってどこかで聞いたなー。

 

道は拡幅されているので、往時を忍ばせる

ようなものは、ほとんどありません。

血眼になりながら、古そうなものを探します。

 

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立派なお宅。

そして、

 

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唯一街道っぽいもの。石灯籠。

 

以上(涙)

 

後は、新しい家やお店しかなく、そこが御鮨街道

であった名残のようなものはありませんでした。

ショック . . . 。

 

いや、もっと賢ければなにか気づきがあったの

かもしれない。私の目が節穴なだけなのかな。

 

説明の看板が2種類あったので、載せておきますね。

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「御鮨街道を歩く」は以上です。

あっけない . . . 。

 

 

次回は、いつ出かけられるかなー。

なかなか予定が詰まっているので、しばらく

止まるかもしれないですが、次回も懲りずに

おつきあいいただければ幸いです。

 

それでは、また!

 

 

川のくらし 前編

 

今回は岐阜市

長良川周辺に行ってきました。

 

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清流長良川

透明度が高くて綺麗ですよね。

金華山も見えて、ロケーション抜群です。

 

さて、今回の私のお目当ては長良川うかい

ミュージアムでおこなわれた「うかい歩き」

と、特別展示「いにしえの鵜飼」。

 

鵜飼ばっかりやん!ってツッコミがきそう

ですね。

私は、昨年の6月からずっと鵜飼を調べて

います(岐阜市のではありませんが)。

鵜飼で論文を書くという訳ではないの

ですが、調べたらハマってしまったので、

セカンドワークとして、ずっと取り

組んでいきたいと思っています。

 

なので、これからもたびたび鵜飼

が登場すると思いますが、お付きあい

いただければ幸いです。

 

まずは特別展示「いにしえの鵜飼」

 

 

 ポスターにも使用されている保戸田八幡塚

古墳の鵜が魚を加える埴輪はなかなかの

サイズで驚きました。

羽を表現したような、細かい線も無数に

入っていてすごいですよ。

鵜が魚を捕まえる時って、大抵一度

この埴輪のように胴体を加えてから、一度

離して、頭から呑み込むのですが、その時

の様子が正しく写し取られています。

首ゆい(首に結ぶヒモ)の位置も、

現在の日本の鵜飼と変わりませんね。

面白い!!

 

他にも鵜飼と言われている考古資料

があったのですが、どうも鵜飼か?って

いうものが多くてですね . . . 。

これ以上話すと、趣旨から外れてしまい

ますので、行かれた方がいたら、コメント

で感想を教えてください。

 

ちなみに、文書の史料も数点あって、

考古・文書の双方から鵜飼の源流について

考察されていたのは面白かったです。

 

欲をいえば、まとめた図録的なものが

欲しかった。

 

 

 

さて、やっと本編はじまります。

イントロ長すぎ。

 

うかいミュージアムのイベント「うかいあるき」。

参加者はなんと私一人(笑)。 

VIPですよー。

 

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うかいミュージアム周辺をブラブラします。

高低差があるので、まあまあ疲れる道です。

 

ガイド「今ね川の中歩いとるんよ」

めんぷ「え??」

 

こんなところで川の中歩いてると言われて

なんのことか察した頭のよろしい方は

いらっしゃるでしょうか。

 

取りあえず先へ進みます。

察した方はほくそ笑みながら、読み

すすめてくださいね。

 

街の至る所に

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また扉

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こんな大きい扉も

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こちらは中に扉が収まっているんですね。

全自動なんだそう。

 

古いものだと、

 

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このヘコんだ部分に木の板を差し込んだ

そうです。

 

こんな扉が狭い範囲に、無数にあります。

この扉の名前は 

「陸閘」

こちらは、堤防の中で生活ができるように、

作られた扉で、非常時には全ての扉を閉めて、

外へ逃げます。

 

ここで、先ほどの川の中を歩いているという意味が

お分かりいただけたでしょうか。

 

私が歩いていたうかいミュージアム周辺は、

堤防の中なのです。

 

ここで地形を確認。

 

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アプリ「スーパー地形」より

 

赤く囲ったところが今回歩いたあたりです。

地形図で見ると、ちょっと盛り上がっている

のがわかりますね。

 

長良川は「天上川」といって、周囲の土地

より標高が高い場所を流れている川なので、

高い堤防を築かないと、街が水浸しになって

しまうのです。

 

こちらの電柱には水がここまで来るぞ

という印がついています。

水色のライン。

 

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一階は完全に水の中ですね。あちゃー。

おそらくこのラインは伊勢湾台風

時のものと思われます。

 

川沿いの家だとこんなことも

 

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もう一階部分は沈む前提で、石積み

にしているんですね。

大きい河原石、立派です。

このあたりじゃ、この大きさの石は

取れないので、おそらく上流から

運んできたものと思われます。

 

素敵な河原石の石積みたちを見て

いたら、あれれ。

ここだけ石が違う!

 

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この石はチャートだそうです。

ブラタモリ好きはおなじみのチャート

ですね。

 

ブラタモリの岐阜編では、頑丈なチャート

の上に立っている岐阜城は丈夫だね。

というお話がありました。

 

近くの石で作った石積みということ

ですね。

こちらも強そうで、いいですね。

石積み萌えるわー。

 

こちらは長良橋の手前。

 

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橋の手前が盛り上がっています。

そしてこの盛り上がっている部分に続くのは。

 

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見えにくいですが、こちらの奥に続く

細い道。

 

実は、この盛り上がっている部分が

昔の橋の跡です。

そして細い道は、街道となっています。

 

このあたりのお話は、主にガイドさんに

していただきました。

ガイドさん、タモさんのような地形マニア

でした。

 

ちょっくら地形から離れて、次は鵜飼の

道具のお話。

結構調べてきたので、鵜飼用具について

は私詳しいですよ。

 

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こちらは鵜匠さんの作業小屋。

上には腰蓑用の藁が干してあります。

この写真だとわからないと思うの

ですが、ちょうど腰蓑を編んでおられる

最中でした。

こういう準備はオフシーズンにおこなう

んですね。

 

ちなみに長良川鵜飼は5月11日から

10月15日までです。

今年の夏は鵜飼なんていかがですか。

川の上はちょっと涼しくていいですよ。

 

さて宣伝は置いといて、次は鳥屋

 

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鵜だー!!

こちらの鳥屋籠(鵜が寝る時に入るカゴ)

はフェンスか何かで作られていますね。

 

こういう道具は大概鵜匠さんの自作

なんですよ。 

昔は、竹細工屋さんが編んでくだ

さったんですけど、今竹細工をされる

方がいないので、自作のカゴが増えて

います。

既製品に鵜を入れるカゴなんてあり

ませんからね。

鵜飼のような民俗文化財は、そのもの

だけを保護したところで、それを成り

立たせている、道具とかその周辺部

を守っていかないと、続いていかない

んですよね . . . 。

カゴはなんとか代用できたけど、他の

モノも作り手がいなくなりつつある

ので、なかなか大変です。

 

次は鵜匠さんのお宅。

 

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前庭に木が干してありますね。

これは松割木と言って、篝火に

使うものです。

こうやってしばらく干してから、

 

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 横の用具入れにしまいます。

 

こんなお家も。

 

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家の壁の下の方、あまり見かけない継ぎ方

の板が貼られています。

これは鵜舟です。

鵜匠さんのお家では、舟の材の転用は

しばしば見られる光景。

 

 

うかいあるき、最後は鵜塚へ。

 

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毎年、鵜匠さんが全員集まって、その年

に亡くなった鵜を供養します。

鵜と鵜匠さんの信頼関係を示す、一つの

証拠ですね。

 

 

これにてうかいあるきは終わったので、

うかいミュージアムでご飯。

 

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うかい弁当。鮎の黒酢和えとても

美味しい。

長良川を眺めながら食べる鮎は最高。

 

 

美味しいご飯をいただいた後は、

こちらに行きました。

 

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こちらは岐阜市の直営です。

鵜飼を守る取り組みの一つですね。

 

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こちらの舟、材料は高野槙です。

水に強いため、この材が使われている

そうですが、詳しいことはわかりません。

 

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奥には、水を掻き出すのに使われる、

アカカイという道具も見えますね。

 

舟の作り方は写真をご参照ください。

 

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午前中はここまでということで、

午後の分は後編にまわします。

 

これ以上長いと読む気失せるでしょ。

ということで、前編は以上です。

 

それでは、また!

行き交う、むこうまち

 

今回訪れたのは、京都府向日市

 

10年間しか使われなかったために、「幻の都」

と呼ばれる長岡宮がある場所です。

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長岡宮は、長岡京市にあると思っていた

のですが、違うんですね。

確かに、京域(みやこ全体)のほとんどは

長岡京市なのですが、中心施設である長岡宮は向日市

にあります。

 

朝堂院跡にはガイダンス施設もあって、

ボランティアの方が丁寧に解説してくださいました。

ここでは、古代の服も着れちゃうよ(笑)。

  

長岡京は、世界屈指の利便性を誇るみやこ

だったと言われています。

というのも、長岡京域には小畑川と桂川が通り、

すぐ南には淀川もあります。

淀川には外港「山崎津」も設けられ、舟運の一大

拠点となりました。 

この水運によって、副都であった難波宮などから

資材が運ばれ、長岡宮は造営されたそうです。

 

なんで難波宮の資材が使われていたと

わかるのか。

先ほどご紹介したガイダンス施設に物証が

あります。ここでは、発掘された瓦が展示

されているのですが、その瓦の模様から、

どこの瓦か判断しているんですね。

私は考古学の嗜みがないので、詳しいことには

突っ込みません。

 

なにはともあれ、建築資材の転用が長岡京

突貫工事を実現させたんですねー。

大量のモノが行き交っている様子は圧巻だったん

だろうな。

 

きちんと調べてから行っているわけではないので

詳しくはわからないのですが、街道なんかも

通っていたそうです。

人の往来も盛んだったのかな . . . ?

人が多いのはみやこだったら当たり前か。

 

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上の写真は向日市文化資料館です。

展示に茶目っ気があってステキでした。

 

こちらには、なんと長岡京の住人さんが

いるんです!!

 

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↓キャプション拡大版

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ご覧の通り、設定がとても細かい。

涙なしには見れないプロフィールですね。

私的萌えポイントは、魚釣りが得意ってところ。

どうでもいいですね、はい。

 

他にも何人かの長岡京住人が待っているので、

ぜひぜひ会いに行ってください。

 

 

 

話はうって変わって、次は西国街道に向かいます。

 

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 こちらの西国街道は、京(東寺口)〜西宮、

さらに中国、九州へと続く街道です。

 

平安時代には、すでに整備されていたと

言われています。

 

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阪急沿線ということもあり、だいぶ宅地開発が

進んでいるのですが、道は狭い。

かつての街道の幅から、大きくは拡幅されて

いないので、街道通ってるーって気分に

なれますよ。

 

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愛宕灯籠がいたるとことに残っています。

さすが京都!さすが街道!

先ほどの街道の写真にも、左側にひっそり

といたの、お気づきでしたか。

 

ちなみに、この写真の裏側にはお地蔵さんが

いらっしゃるのですが、ここの写真を撮って

いた1分足らずの間に、二人手を合わせて

おられました。

古い住宅は減り、新興住宅が多いにも

関わらず、古いものが大切にされている

ってすごいなー。

 

資料館には地元の方お手製のウォーキング

マップとかもありました。文化財を大切に

していこうという地元の方々の思いって

重要ですよね。

このマップ、内容がすっごく充実していた

ので、いただいていきました。

 

 

灯籠といえば、こんなビック灯籠もいました。

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人の身長より全然高い。

この築榊講(伊勢講)常夜灯は天保期に建立

されたそう。

これだけ大きかったら、街道沿いを歩いていた

人にとって、良い目印になりそうですね。

 

西国街道との道路標識。

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前に愛称ってついてるところがかわいいね。

 

街道沿いを進むと、立派なおうちが現れました。

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こちらは、須田家住宅。

「松葉屋」という醤油屋さんでした。

嵯峨から愛宕山へ続く愛宕道、丹波へとつながる

丹波道、そして西国街道という三本の街道の

分岐点にあたるところに位置しています。

この辺りは、昔たくさんのお店が軒を連ねていた

そうです。

 

三本もの道が交わっていたとあれば、さぞかし

多くの人が、ここを行き交ったんだろうな。

しみじみ。

 

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西向日駅を過ぎたあたりから、石畳の整備された

道になります。

 

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電灯は地域の特産である竹をイメージ。

 

 

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こちらの立派なおたくは中小路家住宅。

江戸時代の旧家だそう。

今はカフェとして利用されていました。

 

さらに進みます。

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こちらは一文橋。

小畑川は暴れ川で、たびたび橋が流されました。

そこで、橋の架け替え費用を徴収するために、

通行人からお金をとったので、一文橋と言われて

いるらしい。

今は何回渡ってもタダだよ。やったね。

 

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これが、暴れ川と言われた小畑川。

暴れ川には全然見えないんですけどね。

長岡京が10年限りの都となってしまった要因

に水害が挙げられるのですが、その水害を

起こした川の一つでもあるそうです。

 

いくら交通の便が良くても、災害が起き

たら困りますもんね . . . 。

 

 

様々なものが行き交った、むこうまち

なんとなく雰囲気を感じていただけた

でしょうか?

 

歩いていて、思い浮かんだ「行き交う」

というキーワードを念頭に置いて書いて

みました。

 

文章の拙さ、内容の薄さはご寛恕ください。

 

これからも、こんな感じの薄っぺらいボヤキ

を載せてまいります。

いや、もう少しましな文章を書けるように

勉強しなきゃいけないんですけどね。

まだなにも知識がない分、伸び代も大きい

って信じてる(暗示)。

 

それはそうと私、まだテスト終わって

ないんだ。現実に戻ります。

 

それでは、また!

 

 

めんぷ、ブログをはじめる

 

はじめまして、めんぷです。

 

突然ですが、みなさま知らない土地を観てまわる

のはお好きですか?

 

私はふとした時に出かけたくなります。

 

旅行が好きというよりは、観たことのないもの

との出会い、が好きなんですよね。

 

訪れたことのあるところでも、行くたびに違った

ものが見えてくるので、それもそれで好きです。

 

今までは、行った場所の画像のみをSNSにアップ

していたのですが、見返しても面白くない . . . 。

そこで、訪れた場所の個性や魅力について、言語化

してみようと思い、ブログを開設するに至りました。

 

 

タイトルは「めんぷ巡遊記」。

タイトルの通り、気ままに歩いては、その内容を

書いていく予定です。

 

ブログを書くにあたっては、自分がどのような

視点でそこにある景観を捉えているのか、また

その地域の本質はどこにあるのか、ということを

意識していくつもりです。

 

みなさまが、どのような視点を持っているのか

ということに、とても興味があるので、

コメントお待ちしております。

 

ちょっと気取ったことを言ってみましたが、

知識ゼロの若造が書く雑多な文章なので、暇な

時にでも立ち寄っていただけたら幸いです。

 

それでは、また!