湖族がつくった景観
堅田は琵琶湖の最狭部に位置しており、古くから水運の要衝として栄えてきた
都市です。
写真に見えるのは琵琶湖の最狭部にかかる琵琶湖大橋。
空の「あお」と湖の「あお」のコントラストがとっても美しい場所です。
カタタってケロロ軍曹にいそうな名前だなー
という個人的な感想は置いておきまして、早速歩いた場所をみていきたいと思います。
堅田駅に着いたら、湖族(こぞく)の方々がお出迎えしてくれました。
この湖族というのは、堅田において琵琶湖の水運や漁業権を握り自治都市を築いた人々のことです。
堅田を「湖族の郷」と呼び始めたのは小説家の吉川英治なんだとか。
琵琶湖の方へ向かって歩いていくと
舟と思しき柄の電灯。オシャレだなー
堅田には衝撃的な数のお地蔵さんがいました。
密集度は洛中に匹敵するレベル。びっくり!
さすが中世から続く街なだけあるなー。歴史を感じる。
愛宕灯籠も無数にありましたが、1箇所だけこんなものも。
葉っぱで見えにくいけど、右側は秋葉灯籠。
愛宕と秋葉の共演。
湖西にも秋葉さんいるのね。
街には何人もの一休さん。
表情や手がかわいい(笑)。
飛び出し注意看板の多くが一休さんなのは、一休さんが実際に堅田に滞在しているという歴史からきています。
祥瑞寺では一休さんが13年間修行したと伝えられています。
ここのお寺は苔が一面に敷かれていて風情がありますよ。
てくてく歩いていたら、気になるものを発見!
「宮ノ切」ってなんやろ . . . ?
中世以来繁栄を極めてきた堅田の人々は、自由都市としての堅田を守るべく宮座を結成しました。
「きり(切)」というのは、宮座が湖岸に築いた防御塁のことです。
堅田には、宮ノ切・東ノ切・西ノ切・今堅田切の4つの切があります。
それぞれの切ごとに主な生業も違ったそうですよ。
宮ノ切は農業と舟稼ぎをしていたそう。
西ノ切は漁業が盛んなのだとか。
詳しい内容は「湖族の郷資料館」に書いてあったんだけど忘れちゃった . . . 。
宮ノ切の石碑があったところでは、琵琶湖の水が分かれていました。
綺麗に水が二等分になるような仕掛けは、用水を平等に分けるためなのかな?
そのまま琵琶湖まで行きます。
琵琶湖のすぐ近くまできたよー。
ボートが何艘も浮いていました。
古い町並みとは打って変わって、湖の上は完全に近代的な舟だけしかありませんでした。
琵琶湖を望む場所にポツンと立つ石碑を発見。
これは道標ですね。
「左 かたた舟わたし」と書いてあります。
興味深かったのは、この石碑の裏側。
フェンスがあったので、下からしか撮れませんでした(涙)。
「舟仲間」という文字が見えるでしょうか。
「仲間」というのは同業者組合のことです。
昔はこのあたりに舟関係の同業者組合があったのでしょうね。
この石碑は、この地域の生業の一つに舟関係の仕事があったということを示して
くれます。
ちなみに、この石碑は文化年間(11代将軍家斉の治世)のものです。
琵琶湖きたーーー
いい感じに整備されていて気持ち良いです。
平日だからか人が一人もいないので、水の音や鳥の鳴き声だけが聞こえます。
ベンチもあるので、何も考えずボーっとしたい時には、うってつけの場所かもしれないですね。
この道を歩いていくと
堅田の落雁として近江八景の一つにも数えられる「浮御堂(うきみどう)」が見えて
きました。
こちらの浮御堂は、「往生要集」の著者である恵心僧都が、湖上通船の安全を祈願して建立したと言われています。
そこまで大きな建物ではないのですが、中には非常にたくさんの仏像が安置されてい
ます。
近所の方によると、有名だから観光客は来るものの、予想より小さかったと残念がって帰って行かれる方が多いそう。
確かにお堂自体はそこまで大きくないのですが、琵琶湖やマツなど周辺と一帯の景観として観ると絵になる美しさだな、と私は感じました。
ところは変わって、次は伊豆神社。
こちらの画像の下部分がアーチになっていますね。
この下はと言いますと
水濠があります。
このあたり、古くは多くの水濠があったそう。
自治都市を守るための装置ですね。
この水は琵琶湖から直接引いてきています。
ここで地図をみてみましょう。
こちらは江戸時代の本堅田町。
御陣屋や伊豆神社、祥瑞寺の周りが水になっていますね。
この水濠は少なくとも文政年間にはあったみたい。
昔は畑もあったのね。
現在の堅田は京阪神地域のベットタウンとして開発の対象になっているので、古い家々は残っていますが、一方で新興住宅が密集している場所もあります。
新興住宅の密集地は、昔畑だったのかなー。
とか考えていたら、畑発見!
水面と大して高さの変わらない所に畑。
なぜ??
増水したらすぐに水没しそうなのですが . . . 。
なぜここに畑があるのか、誰か答えをご存知の方は教えてください。
謎すぎる!!
ちなみに、こんな風に水濠の跡だけ残っていることもあります。
次は内湖へ。
なんだか色々な棒が刺さっていますね。
えり漁かな?
昔から漁業が盛んな町でしたが、現在でも漁業が盛んな場所です。
堅田漁港。
船がたくさん並んでいます。
漁業だけでなくこんなお仕事も。
造船所ですね。
堅田には今使われている船を作る造船所もあれば、伝統的な船を作る造船所もあります。
どちらにせよ、古くからの生業である船関係の仕事が現在まで続いている、と言えるのではないでしょうか。
最後は行き交う船を照らした灯台。
かつてはランプで灯されていたそう。
今でも点灯されていることから、有形民俗文化財に指定されています。
堅田は湖族たちの自治都市であったことから水濠が張り巡らされており、彼らの生業であった船関係の仕事が現在でも続いています。
また、舟稼ぎで繁栄していたので石造物やお寺などが多く残っています。
以上のことから、堅田は「湖族がつくった景観」が色濃く残っている場所と言えるのではないでしょうか。
おまけ
展示は曳舟のお祭りから遺跡から出た瓦までさまざま。
小さい展示ながらキャプションの内容も分かりやすく、展示作成者の熱い想いを感じられます。
こちらの企画展、滋賀県文化財センターの方が定期的に展示替えをしながら続けられているそうです。
駅構内なので湖西線沿線で用事がある際は立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
今回はなんだかまとまりの無い記事になってしまいましたね。
反省 . . . 。
しばらく私用で忙しいので更新することはないと思いますが、いつか更新したらみてくださいな。
それでは、また!