行き交う、むこうまち

 

今回訪れたのは、京都府向日市

 

10年間しか使われなかったために、「幻の都」

と呼ばれる長岡宮がある場所です。

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長岡宮は、長岡京市にあると思っていた

のですが、違うんですね。

確かに、京域(みやこ全体)のほとんどは

長岡京市なのですが、中心施設である長岡宮は向日市

にあります。

 

朝堂院跡にはガイダンス施設もあって、

ボランティアの方が丁寧に解説してくださいました。

ここでは、古代の服も着れちゃうよ(笑)。

  

長岡京は、世界屈指の利便性を誇るみやこ

だったと言われています。

というのも、長岡京域には小畑川と桂川が通り、

すぐ南には淀川もあります。

淀川には外港「山崎津」も設けられ、舟運の一大

拠点となりました。 

この水運によって、副都であった難波宮などから

資材が運ばれ、長岡宮は造営されたそうです。

 

なんで難波宮の資材が使われていたと

わかるのか。

先ほどご紹介したガイダンス施設に物証が

あります。ここでは、発掘された瓦が展示

されているのですが、その瓦の模様から、

どこの瓦か判断しているんですね。

私は考古学の嗜みがないので、詳しいことには

突っ込みません。

 

なにはともあれ、建築資材の転用が長岡京

突貫工事を実現させたんですねー。

大量のモノが行き交っている様子は圧巻だったん

だろうな。

 

きちんと調べてから行っているわけではないので

詳しくはわからないのですが、街道なんかも

通っていたそうです。

人の往来も盛んだったのかな . . . ?

人が多いのはみやこだったら当たり前か。

 

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上の写真は向日市文化資料館です。

展示に茶目っ気があってステキでした。

 

こちらには、なんと長岡京の住人さんが

いるんです!!

 

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↓キャプション拡大版

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ご覧の通り、設定がとても細かい。

涙なしには見れないプロフィールですね。

私的萌えポイントは、魚釣りが得意ってところ。

どうでもいいですね、はい。

 

他にも何人かの長岡京住人が待っているので、

ぜひぜひ会いに行ってください。

 

 

 

話はうって変わって、次は西国街道に向かいます。

 

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 こちらの西国街道は、京(東寺口)〜西宮、

さらに中国、九州へと続く街道です。

 

平安時代には、すでに整備されていたと

言われています。

 

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阪急沿線ということもあり、だいぶ宅地開発が

進んでいるのですが、道は狭い。

かつての街道の幅から、大きくは拡幅されて

いないので、街道通ってるーって気分に

なれますよ。

 

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愛宕灯籠がいたるとことに残っています。

さすが京都!さすが街道!

先ほどの街道の写真にも、左側にひっそり

といたの、お気づきでしたか。

 

ちなみに、この写真の裏側にはお地蔵さんが

いらっしゃるのですが、ここの写真を撮って

いた1分足らずの間に、二人手を合わせて

おられました。

古い住宅は減り、新興住宅が多いにも

関わらず、古いものが大切にされている

ってすごいなー。

 

資料館には地元の方お手製のウォーキング

マップとかもありました。文化財を大切に

していこうという地元の方々の思いって

重要ですよね。

このマップ、内容がすっごく充実していた

ので、いただいていきました。

 

 

灯籠といえば、こんなビック灯籠もいました。

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人の身長より全然高い。

この築榊講(伊勢講)常夜灯は天保期に建立

されたそう。

これだけ大きかったら、街道沿いを歩いていた

人にとって、良い目印になりそうですね。

 

西国街道との道路標識。

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前に愛称ってついてるところがかわいいね。

 

街道沿いを進むと、立派なおうちが現れました。

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こちらは、須田家住宅。

「松葉屋」という醤油屋さんでした。

嵯峨から愛宕山へ続く愛宕道、丹波へとつながる

丹波道、そして西国街道という三本の街道の

分岐点にあたるところに位置しています。

この辺りは、昔たくさんのお店が軒を連ねていた

そうです。

 

三本もの道が交わっていたとあれば、さぞかし

多くの人が、ここを行き交ったんだろうな。

しみじみ。

 

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西向日駅を過ぎたあたりから、石畳の整備された

道になります。

 

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電灯は地域の特産である竹をイメージ。

 

 

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こちらの立派なおたくは中小路家住宅。

江戸時代の旧家だそう。

今はカフェとして利用されていました。

 

さらに進みます。

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こちらは一文橋。

小畑川は暴れ川で、たびたび橋が流されました。

そこで、橋の架け替え費用を徴収するために、

通行人からお金をとったので、一文橋と言われて

いるらしい。

今は何回渡ってもタダだよ。やったね。

 

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これが、暴れ川と言われた小畑川。

暴れ川には全然見えないんですけどね。

長岡京が10年限りの都となってしまった要因

に水害が挙げられるのですが、その水害を

起こした川の一つでもあるそうです。

 

いくら交通の便が良くても、災害が起き

たら困りますもんね . . . 。

 

 

様々なものが行き交った、むこうまち

なんとなく雰囲気を感じていただけた

でしょうか?

 

歩いていて、思い浮かんだ「行き交う」

というキーワードを念頭に置いて書いて

みました。

 

文章の拙さ、内容の薄さはご寛恕ください。

 

これからも、こんな感じの薄っぺらいボヤキ

を載せてまいります。

いや、もう少しましな文章を書けるように

勉強しなきゃいけないんですけどね。

まだなにも知識がない分、伸び代も大きい

って信じてる(暗示)。

 

それはそうと私、まだテスト終わって

ないんだ。現実に戻ります。

 

それでは、また!